人間の生きる力を求めて

はじめまして、管理人の「やぎ」です。基本「白やぎ」ですが時々ブラックになります(笑)

 

サイトを立ち上げるにあたって、「何故このサイトを立ち上げたのですか?」というようなご質問をいつか頂くかと思ったので先に書いておこうと思いました。いつそのようなご質問をいただけるのかは分らないのですけど。

 

僕はこれまで人生50年余りを生きてきましたが、あまり人に誇れるような特技なんかがありません。そんなに人を笑わせるような面白いことも言えませんし、どっちかというと地味?なんだと思ってます。

 

「あなたの長所は何?」と聞かれたら  4,5分は考え込む自信がありました。

 

だけど、人生50年も生きていると面白いものでね。自分の「特技」?みたいなものがわずかですが見えるようになるんですね。で僕が思うに至ったのが、人よりも「ものごとの本質を見分ける」力がちょっとだけ多くあるんじゃないかな?ってとこなんです。

 

「ものごとの本質」っていうと偉そうに聞こえますけど、ようは「木の幹」の部分と「枝葉」の部分とに分類することができると・・・・  まぁ、それだけのことなんです。

「そんなん誰にでもできるやんwww」って草生やされるとそれまでなんですけどね・・・・。

 

ですがですが「ものごとの本質」ってことを見抜いていない人々も多くいらっしゃるようで、それは僕からすると「この人は一体何と戦っているのだろう?」 と余計なお世話ほどに 「もっとシンプルに、そして楽に生きてみては?」と語り掛けたくなるのです。

 

前置きが長くなりましたが、現代に生きる人類-自分も含めて-は、守ろうとする柵(しがらみ)が多すぎて息が詰まりそうな状態だと思います。守ろうとする柵っていうと、たとえば法律はもちろん、作法や会社のルール、そして近所付き合いのルールまで含めていろいろあります。

今の世を生きるにあたって法律は守らないと罰を与えられてしまいますから守ることをお勧めしますが、所詮人間の生活の中で「こうしたらいいよね!」ってことで後から作られたルールなわけで、も一つ言えば宗教なんかも人間が創造した掟の一つに当りますし、きっと無いほうが平和なんじゃないの?って思います。

 

例えて言えば、僕らは「社会通念」という鳥かごの中に閉じ込められて生活していると言えるでしょう。そして「社会通念」を守っていくことに多大なエネルギーを費やしてしまっていて、これがストレスであったり、精神疾患であったりに繋がっているのだろうと思うのです。

 

僕らは、現代に生きる「人」という以前に、地球上に生命を得た生き物の一つなのですから、まずは地球の流儀に従うことが先決です。そして純粋に生き物として、どう生きて行けば良いのか。ここに答えがあると考えています。

「社会通念」なんかクソ食らえ(笑)

言葉は悪いですが、人間として本当の姿を取り戻していく・・・そんな流れを作りたいと心から望んでいます。

 

やぎ